2015年2月19日木曜日

「太宰治まなびの家」と「弘前ペンクラブ」について   斎藤 三千政(弘前ペンクラブ会長) 

 1「太宰治まなびの家」の指定管理者に
 平成25年3月21日、弘前ペンクラブは弘前市教育委員会教育長と、「弘前市指定管理者による旧藤田家住宅の管理に関する協定書」を締結し、4月1日から「太宰治まなびの家」の管理・運営を開始しました。
 私どもペンクラブ会員にとっては、まったく初めての任務でしたので、戸惑いの毎日でしたが、一年があっという間に過ぎてしまった、というのが正直な気持ちです。2年目の本年は、昨年の業務の点検・反省を踏まえながら、さらなる創意工夫を加えて、任務にあたりたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願い申し上げます。


 2「弘前ペンクラブ」とは
 平成7年11月10日、弘前プラザホテルにて、100名の会員を集めて「会員相互の親睦を深め、表現の自由を守り、地域の文学活動に寄与することを目的」に、弘前ペンクラブ設立総会を開催し、その目的の達成のため、主として講演会、講習会、研究会の開催のほか、各種イベントの実地、また、「弘前ペンクラブニュース」を発行し、会員に文学活動の場を提供してきたところです。

平成17年11月12日には、弘前ペンクラブ創立十周年記念祝賀会を開催し、「弘前ペンクラブニュース」の合本を出版して、10年間の歩みを振り返りました。

 
 3「旧藤田家住宅」について
 太宰治(津島修治)は、昭和2年から5年までの3年間、藤田豊三郎方(当時は弘前市富田新町57)に下宿しました。
 旧藤田家住宅は、大正10年に元碇ヶ関村長の家を移築したと伝えられています。この大正時代から戦前までの時期は、日本住宅史上の一大変革期で、それまでの建物外周の縁側や、次の間などの構成とは異なり、「居間」や「個室」が配置される、いわゆる「中廊下型平面」「居間中心型平面」と称される様式が、定着したといわれています。
 この旧藤田家住宅は、弘前市に現存する大正時代の建物としてはきわめて貴重であり、保存する重要性が高いことから、平成18年3月24日、「太宰治まなびの家」として、弘前市の有形文化財に指定され、4月18日に公開されました。
 

 4貴重な文学遺産を後世へ
 太宰作品は、たとえば、新潮文庫に限っても、平成25年6月現在で、全作品の総売り上げ数が、じつに2100万部を超えています。驚異的な数値というほかありません。国内はもちろんですが、多くの国で翻訳され、国際的にも高い評価を得ている、日本を代表する作家であることは、多くの人が認めるところであります。
 太宰は官立弘前高等学校の3年間を、この「太宰治まなびの家」で過ごし、作家への夢を加速させました。それゆえ「太宰治まなびの家」のもつ文学的意義は、計りしれないものがあると考えられます。すなわち、第一級の文学遺産であるということです。このすぐれた文学遺産を全国に発信し、後世に伝えていくことが、いま、私たちに課せられた使命である、と肝に銘じています。ぜひ、ご来場いただければ、喜びこれに勝るものはございません。
 

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