2015年6月24日水曜日

そして「太宰」はどこにいるのか?   自然 先紀(「飾画」同人) 


 太宰治は実はいまだに苦手な作家なのである。
 どこかつかみどころが無く、得体の知れない深井戸を思わせるのだ。
 出身が青森高校かつ弘前大学な私は、ハタからは大先輩をリスペクトして当然のダブル後輩という目で見られがちだが、実際は教科書掲載作品ぐらいしか読めてはいない。そんな私が弘前ペンクラブの事務局として「太宰治まなびの家」の指定管理に携わることとなり、否応なく太宰と関わらざるを得なくなってしまったのも因果な話である。
 
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 閑話休題――
 「メロスの全力を検証」という中学生の研究が話題になったことがある。記述を頼りに時速を割り出したところ、明らかに「走っていない、歩いている」というものだった。
 ここから二つのことが導き出せる。一つは発表から何年経っても読者にとって新鮮であり続けていること。もう一つは時間の概念が希薄であることだ。
 「まなびの家」での朗読イベントなどの時しみじみ感じることだが、太宰と読者の距離感は舞台と観客席のそれではなく、同じ部屋・同じ目線に立った時空の共有という一種の「共犯関係」である。部屋を出てから、びっくりするほど短い時間だったり、思った以上に時間が経っていたりという体験は誰しもあると思う。あの感覚だ。
 「まなびの家」は正式には弘前市指定有形文化財「旧藤田家住宅」(大正時代の「中廊下型平面」住宅様式)であるが、音響の良さはイベントのたびいつも驚かされている。二階六畳間の縁側が下宿当時の太宰のお気に入りであったが、隣の八畳間の藤田家長男・本太郎さんとの「語らい」も正にここで活発に行われていたわけである。
 こじつけなのは百も承知だが、太宰の原点の一つをこの「まなびの家」に訪れた方に具体的な体験を通して感じていただければ、この建物が遺されたことの意味や意義もまた新たに生まれ出てくるのではないだろうか。
 語りによって境界線の取り払われた時空が生み出す「騙し絵」的な太宰との一体感・共犯関係は「まなびの家」で過ごした太宰の青春の日々と相似形を為している。
 
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 しかし「距離感」の喪失は一方で太宰の輪郭をも不分明なものにしてしまうのだ。
 読者の多くは作品を通して古井戸の水面に映った自分自身の姿を見出してしまう。私の本能がアラームを発するのは自分自身と太宰の混在への気持ち悪さに対してだ。
 『畜犬談』において「ポチ」への心情が変化するように、自分が苦手とするものへの価値観も時空の共有によって時に気まぐれにその立場は入れ替わる。
 
「(略)芸術家は、もともと弱い者の味方だったはずなんだ(略)芸術家にとって、これが出発で、また最高の目的なんだ。こんな単純なこと、僕は忘れていた。僕だけじゃない。みんなが、忘れているんだ」(『畜犬談伊馬鵜平君に与える』より)
 
 実は犬(強者)自体への恐れや嫌悪は温存されていて、変化したのは具体的な「個体」への反応だけなのだが不思議に説得力を持つ。その一方で思いつきの綺麗事を並べたてているだけなのを「家内」の薄い反応を対比することで見透かしてもいるのだ。
 こうした「読み」の中に自分自身の資質まで発見してしまうと、「私」のことはどうでも良いから「太宰」はどこにいってしまったのだという不安がもやもやと広がってしまう。
 太宰治は実はいまだに苦手な作家なのである。