2015年2月19日木曜日

津軽語版『走れメロス』について   鎌田 紳爾(音楽家) 

 太宰治は、生まれてから10歳までといわれる言語形成期をはるかに超えた21歳までをこの津軽で過ごしました。
 当然のことながら太宰は金木、青森、弘前と、どっぷり津軽弁の世界に暮らしたことになります。
 ですから、太宰の日常会話は津軽弁でしたし、訛りも相当強かったといわれています。
 太宰が同人誌や学生会誌に盛んに小説を書いていた、官立の旧制弘前高等学校時代の作品には、例えば「オシロイをなすりつけた」を「オシロイをなしりつけた」、「イライラした気分」を「エラエラした気分」など、津軽弁そのままの表記が見られます。
 また、独特な文体や句読点の打ち方に他では見られない独創性があるのも、太宰の「母語」としての津軽弁が影響していると考えられます。
 そこで、太宰の作品を反対に津軽弁に翻訳してみることで、太宰の文体や言い回しの秘密があるのではないかと思い立ち翻訳したのが『走れメロス(走っけろメロス)』と『魚服記』でした。
 比較的初期の作品である『魚服記』には、まだ津軽弁の片鱗がみられますが、『走れメロス』では、発音上の片鱗をみることはありませんが、津軽弁に訳して朗読してみると、そこにはやはり津軽弁の、あるいは津軽的用法を感じ取ることができます。
 私はこの二つの朗読を北は札幌、南は高知にいたる十数か所で朗読をしましたが、概ね評価が良かったのは、朗読から立ち上がっていく「津軽人・太宰治」を感じ取ることができたという評を頂いたことは、とても嬉しいことでした。
 そして、それは太宰の文字が、どんな言語に訳されても「太宰治」であるという強靭な文学であるということに他なりません。

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